築地
冬以来の築地だった
京橋で打ち合わせがあり、少し時間があって歩いた
回転寿司で四皿たべる
地方のレベルの高い回転寿司よりも安くもないし、普通ぐらいの味だった
限られた枚数で満足するにはいくつかの法則がある
寿司を出すだけでもだめだし、新鮮さだけでもないし
設計も家を作るだけじゃだめなんだろうな
冬食べたマグロずくしの写真を載せます
京橋で打ち合わせがあり、少し時間があって歩いた
回転寿司で四皿たべる
地方のレベルの高い回転寿司よりも安くもないし、普通ぐらいの味だった
限られた枚数で満足するにはいくつかの法則がある
寿司を出すだけでもだめだし、新鮮さだけでもないし
設計も家を作るだけじゃだめなんだろうな
冬食べたマグロずくしの写真を載せます
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by haganuma
| 2008-06-15 23:26
| グルメ
寺
最近、葬祭センターでやる葬式が増えている
少しほっとしたり、少し寂しかったりする
世の中の流れとも思えるんだけど、時間の感覚がまるで変わってしまう
故人宅を訪ねると遠い昔の出来事みたいに感じるし、セレモニー会場から帰る時も亡くなった人以外は親族を含めてあらゆる人達が客になっちゃうのかもしれない
これからは寺でやる葬式ってもっと見直すべきだと思う
檀家制度に限らない寺との接し方も考えられ、自宅の延長じゃないんだけど寂しくない葬式ができそうに思えてきた
少しほっとしたり、少し寂しかったりする
世の中の流れとも思えるんだけど、時間の感覚がまるで変わってしまう
故人宅を訪ねると遠い昔の出来事みたいに感じるし、セレモニー会場から帰る時も亡くなった人以外は親族を含めてあらゆる人達が客になっちゃうのかもしれない
これからは寺でやる葬式ってもっと見直すべきだと思う
檀家制度に限らない寺との接し方も考えられ、自宅の延長じゃないんだけど寂しくない葬式ができそうに思えてきた
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by haganuma
| 2008-06-05 02:21
| 整
フレンチトースト
軽く揚げてあるぐらいサクサクしている
数ミリしか卵は入り込んでいない
もったいなくて、ナイフとフォークで少しずつ切って口の中
甘すぎるんじゃないかと思えるんだけど程よいシュガー
フレンチトーストのイメージが変わるよ
初めての食感でした
数ミリしか卵は入り込んでいない
もったいなくて、ナイフとフォークで少しずつ切って口の中
甘すぎるんじゃないかと思えるんだけど程よいシュガー
フレンチトーストのイメージが変わるよ
初めての食感でした
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by haganuma
| 2008-05-14 11:24
| グルメ
建築的風景 1 「まき」
こんなにきれいに積んであると燃やすのがもったいない
丸い年輪がきれいな四角を作り出していて、法則も手法もシンプルな長さからだけ考えられている。
会津で訪ねた家で見た哲学的風景でした
丸い年輪がきれいな四角を作り出していて、法則も手法もシンプルな長さからだけ考えられている。
会津で訪ねた家で見た哲学的風景でした
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by haganuma
| 2008-05-10 03:08
職人人生 1 25/1461
4月の初旬、ほんの拍子に源ちゃんを道端でみかけた。
両手で杖をつかみ、穏やかな顔でおじいさんっぽく庭の石に腰掛けていた。
忘れ物に気付き、国道から旧道に迂回して通った時だったので、手を振ったが車は止めなかった。でも、その時の場面が目に焼き付いた。
ある朝、夢の中に源ちゃんが登場し、改めて出直して写真を撮りに行く事をを考えていたら、その数時間後亡くなった知らせが入った。
90歳まであと数ヶ月、親父が生きていたとすれば同い年。
親父が死んでから、生きていたらの基準として考えるのに重ねてみていた。
中学をでてすぐの弟子入りしてから、源ちゃんはずっと日記を書き続けている話を聞いた。
今日は何を食べた、何をした等、仕事以外の事も書き込んでいた。
自分が中学の頃に、材木の配達についていって、現場横にきざみのための簡易の作業場を作り墨付けをしていた源ちゃんの姿が、大人の目線で職人を意識した最初だったと思う。就職してすぐに「メグロ」を乗り回したりする粋な職人っぽさが、初老の年齢の奥に格好良さを感じていたような気がする。
源ちゃんが60歳を過ぎた頃から、一緒に遠出する機会が多くなった。
酒も飲まず、バニラシェークやクレープを「最高!」と言って食べる姿は好奇心いっぱいの姿をみて、いつの間にか「源ちゃん」の愛称が定着した。
出先でラーメンを食べると、明らかにイマイチのレベルでも、「これは最高!」の評価が源ちゃんの口から出てくると、みんなの顔はほころんだ。
環七にある行列ができるラーメン屋で、いくつかの理由でおこっていた事があった。彼なりの哲学で、どんぶりの洗い方、客の扱い、背油のかけ方、について説明を後から聞いた。
帰るときには数口分だけ丼のそこにスープが残してあった。普段は飲み干すのだが、源ちゃんなりの意思表示に納得。
両手で杖をつかみ、穏やかな顔でおじいさんっぽく庭の石に腰掛けていた。
忘れ物に気付き、国道から旧道に迂回して通った時だったので、手を振ったが車は止めなかった。でも、その時の場面が目に焼き付いた。
ある朝、夢の中に源ちゃんが登場し、改めて出直して写真を撮りに行く事をを考えていたら、その数時間後亡くなった知らせが入った。
90歳まであと数ヶ月、親父が生きていたとすれば同い年。
親父が死んでから、生きていたらの基準として考えるのに重ねてみていた。
中学をでてすぐの弟子入りしてから、源ちゃんはずっと日記を書き続けている話を聞いた。
今日は何を食べた、何をした等、仕事以外の事も書き込んでいた。
自分が中学の頃に、材木の配達についていって、現場横にきざみのための簡易の作業場を作り墨付けをしていた源ちゃんの姿が、大人の目線で職人を意識した最初だったと思う。就職してすぐに「メグロ」を乗り回したりする粋な職人っぽさが、初老の年齢の奥に格好良さを感じていたような気がする。
源ちゃんが60歳を過ぎた頃から、一緒に遠出する機会が多くなった。
酒も飲まず、バニラシェークやクレープを「最高!」と言って食べる姿は好奇心いっぱいの姿をみて、いつの間にか「源ちゃん」の愛称が定着した。
出先でラーメンを食べると、明らかにイマイチのレベルでも、「これは最高!」の評価が源ちゃんの口から出てくると、みんなの顔はほころんだ。
環七にある行列ができるラーメン屋で、いくつかの理由でおこっていた事があった。彼なりの哲学で、どんぶりの洗い方、客の扱い、背油のかけ方、について説明を後から聞いた。
帰るときには数口分だけ丼のそこにスープが残してあった。普段は飲み干すのだが、源ちゃんなりの意思表示に納得。
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by haganuma
| 2008-05-05 10:53
| 整